約2か月ぶりにパタヤへ戻った。パタヤ修行を始めて何年になる?長い時間が過ぎたが、やはり嬉しいものだ。私はもはやナイーブな人間とは程遠いがパタヤに戻ると毎回、少しだけ感動すら覚える。苦笑皆さんは如何だろうか?何度も訪れるうちにあの高揚感、感動も薄れていくか?それとも何度繰り返しても当初の喜びを感じ続けているのだろうか?

(上は在住長期滞在組のファラン中高年男性達、明らかにパタヤの何かに惹きつけられた種族で彼らは簡単には自国へ帰ろうはせず、様々な代償を払いながら出来るだけ長くこの地に居続けようとする。そして彼らの何割かはここで人生を終える)

人それぞれなのは百も承知だが、想うにパタヤは最初に気に入らなければ以後、パタヤに敢えて戻る人はいないだろう。

(当然だ! 最近、当局が躍起になって同市のイメージ改善に取り組むも本質を変えるには至っていない。。その通り、パタヤ特別市は歓楽街で成り立っている)それと折り合いが付けられなければ、2度目は無いだろう。しかし、パタヤは登録在住人口が10万にそこそこにもかかわらず、年間来訪者数が1千万近くにもなる。ざっと100倍!結構な数字だ。では何が人々をそんなに惹きつけるのだろうか?当初はビーチリゾートとの触れ込みだったが、現在ではその役目はとっくに終えている。笑! 他のアジアの観光都市と同様に食買物も充分にあるが、、 他と比べて突出するわけでは無い。では気候環境か? 暑期目前の現在、外は危険なほど暑く、また交通集中などによりバンコク都心同様に大気汚染はここでも深刻だ。暑期最盛期のソンクラーンまであと一か月だが、すでにローカルにとっても暑いらしい。ではなんだ? 何がそんなに人を惹きつける? ここに有る殆ど全ての物は、他の諸都市にもだいたい有るはずだ。

暫く考えてみて想いついたのは、この街の持つ寛容性のある文化気風ではないだろうか?汚れているとは言え海岸に面したパタヤは海風が吹き自由開放的で、地元社会のルールを酷く逸脱しない限り部外者を受け入れる。それどころか部外者のルールに擦り合わせることまでやってのける。異文化、人種、言語、嗜好、恰好、外見などを拒否せずに受け入れてくれるように部外者に想わせるのだ。

(敬虔な仏教国のタイ王国は本来、保守的な価値観を踏襲している。幾つかの事柄はパタヤでは出来ても他では注意が必要だ)

そしてそれを目当てにやって来た者に快適な衣食住、とプラス・アルファを与えるのだ。そう、人間の2大欲求をだ。ビーチ、温暖、衣食住の利便性、比較的安全で、安価な必要経費、文化の寛容性とプラスアルファ。この組み合わせを持つ街は世界広しと言えでも現代ではそう多くはない。東南アジアの新興国でマネを試みている街が幾つか、ブラジルアフリカにある幾つかの都市、東欧にもあるらしいが寒そうだ。考えてみると意外とないものだし、同時に何故パタヤなのかが判った気がしないか? 人が集まり関連産業が集積する。それが更に客を呼んで金が集まり、その金にローカルが引寄せられる。その繰り返しだ。そして首尾良く2大欲求を満たされた客は快感を感じ、快感は渇望に繫がる。中断は渇望を誘発し、また更に欲しくなるって寸法だ。まるで麻薬のようでないか?そう、麻薬だ。一度でもその魔力に憑りつかれると、片時もその事が頭から離れなくなる。離れると戻ることだけを考えるようになり、他のことは単なるそれまでの過程になる。まるでパタヤにいる時だけが人生であるかのように。他のことはあまり意味を持たなくなり、気付くとまたパタヤに向かっているのである。俗に言われるパタヤフリークだ。人によってはタイの他都市、またはインドに嵌る人もいるが、そこに差異はない。そうなるとい各種依存症患者と同様に抜け出すことは簡単ではなく、出口を見つけるのは難しい。なんとか折り合いをつけてやっていくしかない。だが、気を付けなければいけない。節度を失うとその先にはあるものは地獄だけだ。