現在、リアルで祖国へ一時帰国中の私のもとに、バリ島の相棒から幾つかの

画像とリポートが届いていた。不在時に限り、もちろん波が良いとのこと

だ。冷汗!

nusa dua surfing (通称パパ・レフトのセット、8ftくらいか?相棒を含めても2人しかいないぞ。なんてこった!)

私は通常出国し、彼の地を離れた後は、癪に障るので波予報は敢えて

見ないようにしているのだが、こうなると見てみない訳にはいかず、

仕方なく見てみると、、見ての通りの2000KJレベルで、、


この有様だ!悲。 悪くない、いい感じだ。概ね予測通りの現況の様だ。

それで読み進めていくと、、どうやら相棒は負傷し暫くの間、休場を強い

られる羽目に陥ったらしい、、気の毒だ。あーあ、

ビッグジム 詳しくは触れられていないが、内部の出血の様で靱帯か筋肉のどちらかだろ

う。数年前に私も波のリップにつぶされて、肩のローテーターカフの断裂と

骨折の経験がある。海に戻るまで5週間ほどかかったな。

ブキット半島 波乗り 波のサイズはたいしてなくとも、インパクトに入ってしまうと板も骨も簡単

に折れてしまうのがバリ島での波乗りだ。たまに心も折れるけどな!

Bali surfing

長年、バリ島で波乗りなどしていれば当然、負傷休場などは今まで数えきれ

ないほど経験している。

ちゃんと治るなら今更何でもないのだが、何回やっても慣れないのは、

海に長期間入れずに良い波を逃してしまうトラウマだ。バリ島のサーフィン日頃から、心身を鍛え、生活を整え、スケジュールを調整し、更に混雑をか

わし、全力で打ち込んでやっと当てられる極上の良い波。バリ道場

それをみすみす目前で逃してしまうのだ。しかも、他人がその時を堪能し

ているのを知りながらだ。

私は既に出国しているので現実感の感じられない対岸の火事みたいな感覚だ

が、現地の可哀想な相棒にとっては、さぞ切実な想いなのであろう。

おどけながらもなんとか早期回復を図ろうと何処からか怪しい器機を持って

来て、。(きっと藁をも摑む心境なのだろうな) 私も再び入水を再開する

まで5か月間を要した重傷を負ったこともあるので気持ちは充分に察する。再始動の時まで、またいちから地道な日々の精進が始まる。

昨日、偉大な野球選手であるイチローが引退を決めたと各種メディアがこ

ぞってとり上げていた。それを見ていて、ふと想ったことがある。

野球も波乗りもパタヤ活動も、クライマックスは一瞬の瞬きだ。そしてその

輝きは文字通り一瞬で儚く終わる。

後に残るのは微かだがその強烈な余韻と残照の感覚だけだ。ソイ6入口から望む

そう、淡い夢のようなその余韻だが、抗い難い渇望を生じさせるには充分。

そしてそれを再度得るべく長い地道な精進が始まるのだ。近道は無い。結果

の輝きに比べて厭になるほど長いながい時間がかかる。そう、その余韻だけ

が我々をそこに引っ張っていくのだ。どれだけの距離や時間を越えてでも。

例え途中にどれだけの障害があり、小さくないコスト、時に究極の犠牲を伴

うことになっても、その一瞬の陶酔への渇望はとまらない。

なんだ、やはり野球も、武道も(他の道すべてだ!)波乗りも強いて言えば

パタヤライフも同じじゃないか。行けばすぐに誰でも形になるわけではなく

そこに差異は無い。そこに到達するまでには、一様にかなりの努力と投下時

間を要する。

イチロー選手は28年の現役生活だというが、そこに至るまでまでの過程は

幼少の時からすでに始まっている筈、要するに人生全部だ。人生のかなりの

部分をそれに向けなければならない。事情により中断を余儀なくされること

もあるが、それでも何とか前に出てまた渇望に向き合うのだ。

もうこれは殆ど生き様、それ自体が人生と言えるのではないか? と想った

次第だ。

そしていつかまた、その陶酔の果実に手が届くことを夢に見ながら今日も

淡々と前に進むのだ。

心理学上の言葉でピークエンドの法則と言うのがある。人は特に意図しなけ

れば多くのことを、ピーク(最も気持ちが高揚した時)と、エンド

(そのことが終わる直前の印象)で物事の良し悪しを判断するという

ものだ。日本語でも終わりよければ全て良し、とか結果オーライなどと言

う概念もあり、まさにピークエンドの法則に合致しているのでは

と私には想える。人は一度、強烈な陶酔感や気持ちの高ぶりを感じると、

それまでの過程での苦しみや困難などは考慮されない、但し最後が悪くなけ

れば。うーん、ぴったり当てはまらないだろうか? ある一定レベル以上、

スポーツその他の体験や活動も続けて高揚感を感じると、特に悲劇的な結末

にでも遭わない限り、良い体験だったと認知してしまうようなのだ。

裏を返せば上手くやっていい気持ちになり、最後を抜け目なく纏めれば、

また次に進めるということだ。諸君、続けたいのなら、最後がことのほか大

事なようだ! 海でもパタヤでも最後まで気を抜かずにいよう。

最後に財布から金を抜かれたり、騙されたり、または官憲の世話になるよう

な、後味の悪さが残るようなトラブルや不手際を犯してはいけない。

そうすれば、明日も今日同様に修行が続けられるのだ。

少なくとも、次のあの高揚感の瞬間まで。