私個人にとって長引く今回の日本国内の滞在。
その経緯については今まで何度も述べてきた。
その理由は周知のとおりコロナ災禍だ。

一般的に生物は己が生存し種を保存していく為、安全で且つ安定的な己の生存に適した環境を追求する本能がある。
私の様な生来の移動癖持つを人間が、今から18カ月前に日本に逃げ帰ったのも同じ理由だ。
原因の如何を問わず、世界がいよいよ危なくなってきたらやはり我が国の安全は心強く、そして有り難い。(時折、我が国が対峙する地震や津波はいただけないが。。)

実際にドヤ街について記事を書くのなら、中に入って取材をするべきだった。次回は是非そうするつもりだ

その危なくなって逃げ帰った筈の日本国内だが、まさに衣食が足りてナントやら。。
安全への欲求が満たされた途端、人間はまた余計な事を考え始める。
ぬくぬくしてきたら、今度はまた外に出たくなるのだ。
ワザワザまた危ないトコに身を置くスリルが恋しくなってくる。

世界がまだもっとアブナイところだった近代以前の世界では、社会整備の進んだ当時の先進国の住民がわざわざ未開の地、未知の南方大陸を訪れてスリルを味わいながら気晴らしをしたいなどとは夢にも思わなかった筈だ。
折角、無数の先祖祖先様達が文字通りに血で築き上げた安全な社会の枠組みから自発的に出ようなどとは。。
その一方、その枠外の気の毒な人達は安全を求めて命を懸けてそこに潜り込もうとする。
そう、現在でも。。

普段の生活では決して見ることはない看板。未だにこんなことがあるのかと想わず写真を。。少しうぶであったかもしれない。これだって世にいう福祉ビジネス。。

前置きはこれくらいにして。。
外に行けないのなら中に代替案を見つけるだけだ。。
そんな想いを胸に日本国内の未開の地は何処かと考え、出した答えが国内に未だひっそりと存在するとされるドヤ街。
そんな経緯で数か月前にドヤ街探索を思いたった。
そして、今回の関西街歩きの機会を経て、日本の3大ドヤ街(台東区山谷地区、横浜寿町、大阪釜ヶ崎)すべてを泊まって内部を覗き見ることとなった。
今回は、その通称釜ヶ崎(大阪西成あいりん地区)で見たことを簡単にリポートする。

どんよりとした灰色の曇天、使用されていない巨大なビル。あいりん福祉センターとある。その雰囲気はどことなく今では歴史の記憶に埋もれた香港の九龍城を彷彿する建物外観だった

大阪釜ヶ崎、西成あいりん地区。
JR大阪環状線新今宮駅南方に拡がる簡易宿泊所や福祉関連施設が集中するエリアとされている。
90年代初頭に多発した暴動により負のイメージが付きまとうとされているが、台東区の山谷、横浜中区の寿町同様に今ではそれらは単なる昔話。

今回、西成に投宿する前に近隣のまともなエリアに数日間泊まって様子を見てみた。
ミレニアム世代と思しき若いホテルフロントの男性に訊いてみたところ、西成ドヤ街での暴動騒ぎなどは、先輩に訊いた荒唐無稽な昔話の一つ程度の認識しか持ち合わせていないと丁寧に説明されただけだった。

(彼らにとって見ることはない、およそ非現実的なおとぎ話みたいな、見たこともない事なのだろう)

海外での活動が長い私だが、正直いうとスラム巡りなどは私の興味対象ではなかった。それでもバンコク、ジャカルタ等の東南アジアの巨大都市の暗部などはそれなりに見ては来ていた筈だが。。これにはビビったよ! こんなの見たことない。。

ネットで調べても、NGO関連の組織のHPを見ても、ホテルのフロントでローカルに訊いても不明瞭な情報ばかりで埒が明かない。。
それならばと、下調べを早々と諦めて通天閣から直接自分の足でコアなエリアに直接乗り込んでみた。
いくらドヤ街って言ったってここは日本だ。
シリアスな銃社会のブラジル、メキシコ等の中南米諸国やフィリピン、ジャカルタなどの危険地帯とはわけが違うはず。。

ある意味、安全な証拠だよな。。ほんとだったらこんなことできない筈、彼ら自身が。。。

先ず、目に付いたのは街角にうず高く積まれたごみの山。
オイオイ、ゴミの収集は行政サービスだろ!
いくら住民が生活困窮者でも関係ない筈だ。。
しかし、これには訳があったのだ。
その訳を解するまでに数日がかかった。
当初、ゴミの山だと想ったのは、実はその中に住民が居たのだ。

お馴染みなブルーシートもあるが。。公衆トイレと水道も完備されているし、彼等もスマホをもっているし、作業着もきている。。

次に気付いたのは住民構成が独特。
目に付くのは、殆ど中高年男性。
おおよそ、30代から70代ってとこか。
そして街中に自販機が有り、安酒が簡単に買えること。
そして、道端で飲んでいる男性が非常に目に付くことだ。。
悪くない、幸せなライフスタイルだな。。

見ての通り、基本おっちゃんしかおらん。しかし、この地で働く女性達もいる。近くには小学校もある。。見た目ほど危ない筈はない

酒だけが唯一の救いなのか?
最後の逃げ道として意図的に残してあるのかもしれない。。
しかし、それに簡単に手が届くとなると。。

自国民の酒へのアクセスはどの社会も管理に腐心する事柄の一つ。酒税で制限する手法や、タイの様に販売時間を制限するケース、販売対象を制限する国々もあるが。。我が国の酒の価格は総じて安く、その弊害はと言うと、、こういうことだ

次は路上の露店販売。。
東南アジアを歩き慣れた私には見慣れた光景の一つの筈だが。。
ここでは何かが違う。。
よく見てみると。。
売っている物が違うのだ。
他国の様な一般に売れそうなものは皆無。。
あるのは売れなそうなものばかり。。(一部のマニアを除いて)
オイオイ、それじゃ商売にはならないだろう。。

明らかに部外者の私は初めから何も買う気も無いので、あまりジロジロと物色するのは憚られた。横目で盗み見る程度だったが、商品内訳はネット全盛期以前の肌色多め系DVD類、出所や用途が限りなく怪しい特定の女性向け衣料品らしきものも見えた気がする。

これで生態はおおよそ判ってもらえただろう。。
そしてその次、生活や生業関連はどうかというと。。

どうやら、こんな感じらしい。。
私は傍観するだけで、それ以上の事は知りようはない。

それでも、西成で5日間ほど過ごした限りでは、特段身の危険を感じることはなかった。
いざとなれば闘ったり逃げたりする自信は充分にあるが。。
一度だけ機材を用いた撮影中に威圧的な罵声が飛んできたが、戻って正対したら向こうが黙っただけだった。

彼ら向けのサービスを提供する業種に勤務する女性の姿は結構見受けられる。それだけ安全な証拠だ

ただこのあいりん地区のど真ん中に位置する西成警察署の建物外観は、フィリピンの首都マニラで見たような頑丈な造りで、入り口に制圧用の装備を常備した警官が常に詰めていた。

住民の朝は意外に早く、(肉体労働に従事する者も多い為か?)
朝6時を過ぎると通りに人の姿が多く見受けられるようになる。

夜は一杯飲み屋が数軒、飲食店も数軒ほど営業する程度だが、これらは現在の大阪府のコロナ関連の営業自粛要請がまだ有効だった時期なので、平常時とは異なっていた筈だ。

ざっと、見たことをそのまま書いただけだが、街の汚さ、目に入る住民の数、ドヤ街としての地理的な広がりは、3大ドヤ街の中では最大最良?(悪い方に最良)なのが西成だ。
台東区や緑区の方は此処に比べればまだ小ぎれいで大人しいと思う。。

いずれ他2カ所についても記事を書いてみようと想う。。
しかし、もう少しちゃんとした取材をして掘り下げてみたい。
機会が来ればそうするつもりだ。
気長に待って欲しい。