パタヤと聞いて何が思い浮かぶ?
国際ビーチリゾート?
それとも微笑みの国タイの首都圏近郊の手近な行楽地か??
それか東洋一の罪深い街?
はたまた世界の性都などと有難くもない呼び名も言われつつあるが。。
それは少しオーバーレイティッドだろう。。笑

パタヤ市に対して緒論あるのは分かっているが、依然としてパタヤは年間約1千万人の集客力を有している。

そのどれが当てはまるかは、観る人によって意見が分かれるところだが、もう一つの呼び名が有るのを忘れてはいけない。
それは世界の壮年老人男性の最後の楽園だ。。
一言でいえば、、そう!老人パラダイス。。
名実ともに一線を退いた(ナンの一線かは人それぞれ異なる)世界中の中高年男達が集う文字通り最後の砦だ。

見よ!この見事な人員構成を。。客層の均質性はピカイチだろ? 店側にとって、その方が返ってやり易いんじゃないかな。。どう想う?

その老人パラダイスの一面を持つパタヤだが、市内全域がそうなのではない。
当客は躍起になってパタヤをファミリーリゾートに変容させたいようだが。。
それはそれでちょっと、、(大分か?) 無理があるようにも想える。。

ファミリーリゾート?と言った手前、、市内各所に厳然と存在するこれらの不敵な娯楽産業群はどう説明するつもりなのだろう?

その幾つかの特徴的な顔を持つパタヤ特別市だが、その中に老人特区言っても良いエリアがある。。
そう、当ブログでも幾度と採り上げているソイブッカオエリアだ。。
そのまた特に南部のサウスパタヤロードにほど近く、毎週火曜日と金曜日に開かれる市場周辺にこぞってファラン老人層が集積しているエリアがある。

世界各地、何処からともなく集まり続け、吐き寄せられる様にこの地に集まる男達。。見方を変え、多くを望まなければ、むしろ快適なのかもしれない。。此処は最後の安息の地? または楽園か?? それとも現代の姥捨て山なのか???

そこには数軒ほど客層が見事なまで一致し、ほぼ老いた男達だけで廻っている飲食店群がある。
最初、足を踏み入れた時は他人事ながらニヤッと笑ってしまう程の独特の雰囲気が(宇宙観かもしれない)漂っていたのだが。。
同時に客観的に自身の境遇を顧みると、自分の顔に一瞬浮かんだその微かな嘲りも急に退いて顔が引き締まるって寸法だ。

日がな一日、ぼんやりと座って過ごす男達。彼らの目に映るのは、遠く過ぎ去った自身の若かりし頃の情景か? それとも自身を待つ先細り未来? ひょっとしたらもっと即物的に、今晩手の届く範囲の煩悩か?

今回はそのうちの一軒に暫く居座り、周りを見回しながら気の赴くまま考えてみた。

見てわかる通り、、彼らは現代のデジタルエイジから数世代は先行している。低デジタルリテラシーを体現している世代だ。想像できるだろうか?スマホもネットもない青春時代を? 多分、有ったのはせいぜい一家に一台の固定電話くらいじゃないか。。

どうする? 歳をとったら? 何をする? または何をすればいいんだ?
何かしなければならないのは判っているが。。
早いトコ何かを見つけないと、一日は長いぞ!
若い時は仕事で忙しく慢性的な時間不足だったのだが、いざ引退してみると。。
ってのはよく聞く話だ。

最も手軽で身近な解決策そのイチは、、酒を飲むことだろう。。

現実的な具体案を持たないでこのフェーズに突入した場合、最初にするのはまず、ゆっくりと何処かに座って酒でも(あるいはコーヒーかも)ってやつだろう。
しかし、老齢の域に達した自身の体に大量のアルコールを投入するのは得策ではない。
投入限度額ってのもあるだろうし。。

毎朝、同じメニューを時間をかけて吟味する男達。。皆一様に同じプロセスを歩むようだが。。

そして次にすることは。。。
そうだ、、何か食べるとしよう。。
そりゃ、誰だって食べなくてはならないが。。
まあ、それがプロフェッションでない限り、引退後の有り余る時間と情熱の対象とするには不十分だろう。(第一、酒同様にそんな喰ってばかりでは身体的、経済的な健全性を損なってしまう)

そして次にはというと。。呑む喰うと来たら、次はもちろん寝ると来る。
御存知、人間の三大欲求の一つ。

居住場所によっては多少、難儀になるであろうこの第三番目の活動案だが、幸いここパタヤではそれは手軽に手が届く。電話一本24時間何時でも何処でもってやつだ。現代はデジタルエイジ、その電話ですらない。アプリメッセージだけだ。ピデリバリーピザと何ら変わらない。バイクでいつでも簡単にすぐ届くぞ!そう夜でも朝でもだ。。

さて、首尾よく3つの活動をそつなく終えたとする。。
しかし、問題は此処からだ。。
それでどうする? 次は?
大概、この時点で一度詰まるようだ。
それで、エエイ!しょうがない!1度も2度も同じだ。。
また繰り返してしまえ! とばかりに同じことを何度か繰り返し。。。
何も変わらないことに愕然とするのだ。。

あれ? 俺は幸せじゃなかったのか?
いや、そうだ幸せな筈だ。。
だって、パタヤに居て毎日喰って呑んで寝て好き勝手にやっている。
地元で腐って居る奴らに比べれば、、数倍ましな筈。。
でも、、なんだこの心の奥底に広がりつつある不穏な空虚感は? ってことになる。
そして、賢者タイムが訪れて終わりのない自問のサイクルに陥るって寸法だ。

果てしない賢者タイムに陥る男達。。こうなると単独では危険だ。楽園の筈のパタヤが地獄に早変わりするのも意外と早いのだ。何を言っている? 私の想像かって? 彼らの顔にはそうは書いていないぞ!

我が国でも近年よく言われるセカンドライフ。
屈指の長寿国のわが国ではそれは決して短くはない。
それは付け焼刃でお茶を濁せば済むような生易しい課題ではなく、本腰を入れて対処すべき問題かもしれない。

暫く見ていると、、同じような境遇の男たちが入れ替わり立ち代わり。。来ては去りが一日中繰り返される

是非見て欲しい!この光景を。
此処にいる男たちの大半は裕福と言われる西欧出身の男達だ。
その彼らでさえ、、具体的な対応策が無しではこの有様なのだ。
やることが無いのは、やることがあり過ぎるのと同様、辛くなるように見える。。
もしかしたら、こちらの方が強力かもしれない。

少なくともここパタヤでは、同輩が屯う場所がある。。
何人か集まれば、妙案が浮かぶこともあろうか。。
(大概のロクでも無い案もこうして生まれるのだが。。)
少なくとも、問題を何人かで共有できるだろう。(皆で傷を舐め合うのも意外と楽しそうだ)
人間は本来、(ここ数万年間ほどは)社会的集団の中で活きるように進化してきた動物だ。
長すぎる独りの時間は生態的に合わず、むしろ有害だ。。

私個人は境遇は彼らと似てはいるが、幸いこの種の問題は抱え込んではいない。
何人かの親切な諸先輩方から、早い時点で啓示を受けてきたのが幸いしているようだ。
誰もが迎える人生のシニア期、、この課題は想った以上に手強いよう。
親愛なる読者の皆様も、同様に平穏な老後である事を願ってやまない。。