本日は、載せるべきか否か未だに迷っている物件を黙考中にもかかわらず、、載せてしまう。
旅系情報を発信している身でありながら、同時にサーファーの端くれでもある私だが、この物件に関しては、相容れないこの二つの立場の間にドップリと嵌り込んで、一体どうすべきか確信が持てないでいる。まあ、サーファーとしての立場から見ると、既に多くの人に知られる事と成っていて、、既に時遅しだ。
それなら、、やってしまおうか。。どうせ、更に周知は広まって行く。。

世界に広く知られ40年ほどか? サーフスポット・ウルワツの全景

Uluwatu Sunset Point、ウルワツの崖の上に建つ、また新しいスポットが生まれている。
バリ島西岸は、広大なインド洋に沈む夕焼け絶景スポットとして、多くの名所が存在する。
クタビーチ、クーデタ、アヤナリゾート、シングルフィン、オムニアクラブ然り。。 (西岸のほぼ、全域がスポット化している!)

個人的に言えば、当物件の存在には建設当初から気付いてはいた。
当たり前だ! 私が10年以上、毎年100回以上、波に乗っている現場の真上だ。
何やら出来ているのは知っていたが、ワザワザ行ってみる気には成らなかった。(毎日、現場で死闘を演じているのだ!毎回、色々とあり疲労困憊で、終わったら、さっさと帰りたいと感じるのが人情だろう)しかし、去年あたりから現場に顕著な異変が起きているのには薄々、気が付いていた。
まだ波が小さい時に限ってだが、明らかに知らない顔や、状況にマッチしない新しい人間が増えて来ていたのだ。
現場は周辺から隔絶されたウルワツ・テンプルシークレット。
一日のうちに半分しかアクセス出来なく、一度サイズが上がれば逃げ場は沖にも岸にも無い、エキスパートオンリーの危険スポット。
ここを恒常的に使いだしたのは我々が最初だろう。
確か2006年あたりからだったような。そう最近、顕著にオイオイ、大丈夫か?と想われるレベルのサーファーや、我が物顔の若いサーファー、ガイドに連れられた同胞達、そして女性サーファー達もだ。

(近年の彼女達のレベルアップは感嘆ものだ!偏見や誤解は無しにしよう。。同胞サーファー諸君達よ! うかうかしているとやられるぞ!)

そして現場で存在感を消して、ひたすら修行に集中する私等に向かい、まるでよそ者を視る様な視線を交え、安全な出入りや退避の方法、ましてや戦略などを何のためらいもなく直接訊いてきたりするのだ。
なんとまあ、時代世代の移り変わりを実感せざるを得ないことになっている。
それは、こんな陸地の外れの僻地にまで及んでいるらしい。
解からないことは直接聞けか。。何時も何の躊躇いもなく単刀直入で単純明快な答えを求めるスマホ世代だ。

ウルワツ・メインピーク、アウトサイドコーナー方面を望む。ウルワツと言っても主要な物だけでも6つのブレイクを内包し、その一つ一つが強烈なキャラクターを持っている。到底、一筋縄に行かない。波大国インドネシアのなかでも屈指たる所以だ。

我々、オールドスクールの人間からすると、それらのバイタルでクリティカルな情報や経験知は個人で積み上げていく類の事柄と、広く信じられている。
それは、時に非常なコストを要し、文字通り血と汗、涙と忍耐、努力と献身の代償なのだが。。

毎日、夕陽の頃を狙って絶好の若者向けデートスポットにもなっているようだ。

しかし、彼らは違うルールのもとに生きているのだ。
そう、判らないことは全てGoogleだ! そして趨勢は彼らにある。。その昔、偉大なる将軍が言った。老兵は消え去るのみ。。はは
なんだか、我々からしたら意気消沈せざるを得ない状況になっている。
あと、何年出来るか?または続けられるか? 我々の間では、毎日少なくとも一回は出る話題だ。
相棒達と毎回、年齢が2,3回りも若いサーファー達に混じって自問する問いだ。
先述の将軍はこうも言う、老兵は死なず。
そう、非情な自然の摂理とは言え、我々も黙って死んで行く訳ではない。
出来るだけ、その運命摂理に抗ってはいる。
人生も折り返しに地点を過ぎて久しいが、、今では摂生と鍛錬の日々だ。
気を抜くとその先にあるのは脱落離脱のみ。
この年端になれば、周りからはそうして無数の人間が消えていった記憶に溢れる。
残っているのは、その残照と遠い追憶、そして現場には我々を含め少数の者を残すのみ。
一度、脱落すると戻るのは困難で戻って来た者は非常に少ない。
誰でも等しく年は重ねる。(この点は、今のところはという但し書きが必要な気がするが。。。)
出来ることは、ただ残された時間を全う燃焼するのみだ。そんな想いを胸に秘めながら、毎日やっている我々だ。
しかし、幸いにも、依然としてまだ有利なのは我々。
後どれ程、そうであるかは神のみぞ知ることだ。。
6ft以上の状況になれば、現場に居るのは私と相棒、他限られた屈強で老練な知人達のみ。
波のサイズやパワーが上がれば上がるほど、サーファーに降りかかってくる難題は、どれもスマホの中に答えが無い物ばかりだ。
あるのは己の中のみ。。。

私は数年前に(まさにこの真下で)この世界でグルと崇められている世界的名士ジェリーロペス氏に、ありがたき啓示を頂いた。

師曰く、、It’s all about Paddle…Just Remember That..

(すべては、パドルからだ。。。覚えておくように。。)

それ以来、そのフレーズは片時も頭を離れたことは無い。
水を掻く度にその真理を噛みしめ、どうにかそれに近づこうと奮闘している次第だ。
そして、それだけが我々の拠り所だ。
それだけが我々を今日もウルワツに駆り立ててている。

ところで、最近の記事で時折、触れている私の相棒だが、3月の大波によって負った外傷治療の為に、本日3万ドルのキャッシュを持ち出してシンガポールの高級私立病院に向かっている。
これも、波と同様に勝ち目が必ずあるとは限らない戦いになるが。。
負けれは消え去るのみの淡い世界であるのは、最初から承知の上。
孤独なパドルアウトになるが、何かあったらサーフバディとして駆けつけるからと言って送り出した。(一度経験済みで、その相棒は無事復帰を果たしている)

彼の移植手術の成功と一刻も早い復帰をここで願って待つのみだ。長々と余計な事を書いてしまったが、当施設の具体的な紹介は省略させて頂く。
概略情報だけ画像にて掲載しておくので、興味が沸くのであれば訪れてみて欲しい。
売りは絶景と静かな時間、波の音、一般人には馴染みの無いアングルで見ることが出来るサーファー達の日常だ。プールもあり、冷たいビールを片手に入ってみたくなった。
(波の無い時にな! 生憎、ここバリ島にはその様な幸運な日は限りなく少なく貴重だ)

ブキット半島の自然の姿そのままの環境に、あまり手を掛けずにポッと出来た素朴な施設だが、かえってそれがまた周囲になじんでいて。。自然の光景に畏怖の念に打たれるのか、誰も言葉少なげで静かに過ごしている。
私も暫く心地良い黙考に浸ることが出来た。
(そのような想いを抱かせる環境を慮ってか?オーナーの独創的なアドバイスが画像に見えるだろう。

最後に所在を載せておく。
舗装道路から外れ、ガレ場あぜ道を少し進めば現場到着だ。
乾いた長閑な灌木地帯に牛が放牧されているので、彼らを驚かせないでそっとしておいて欲しい。

同じブキット半島でも西岸の南端エリアは非常に乾いた気候だ。狭いエリアだが、興味深いことに植生が明らかに他と違う。

それと、このエリアは落差100m程の自然の断崖が続く。
専門家の目が入っている訳ではなく、今でも太古からの自然の姿のままで浸食プロセスも進行中だ。
下から見れば明らかなのだが、、何処も多かれ少なかれオーバーハングになっている。

目も眩む落差だ。一応、施設管理者が境界を設置しているが、ここはインドネシアだ!それらに何の根拠もない。五年ほど前になるか?この付近の断崖が数十メートルに渡って大規模に崩落した。前述したように自然の営みは人間には変えられない。

この光景だ、、絶景セルフィーは理解できるが、リスクがあることを忘れずに。。