当ブログの趣旨にもろに関係する対象なのだが、何故か今まで失念していたサン・アガスティン教会とマニラ大聖堂を少しだけ紹介する。

サン・アガスティン教会外観、ヨーロッパに居るのかと錯覚してしまうような風景

荘厳なマニラ大聖堂、大きいのでスマホカメラに収めるのは難しい

共に1571年創設とあり、西洋(この場合はスペイン)のこの地における植民地支配の足掛かりとなった物件だ。土着地元民の土地統治、言語、宗教、資源、民族の独立性、生活文化の乗っ取りを正当化するために宗教の権威を利用した当時の施政者の常套手段だ。

サン・アガスティン教会の中にある特徴的なキリスト像

(要するに神様と国王がこう言っているから、それを全部引き渡せってことだったらしい、昔から強引傲慢な西洋人達め!生来なのか?)

所在は、これまた同時期の16世紀にスペイン人によりマニラ湾岸の川のほとりに建設され、スペイン語で要塞を意味するイントラムロスと呼ばれる地にあり、且つ両方とも世界遺産に認定されている。

両施設は互いに300m程しか離れていない。観光の対象として実質、同一物件だ。折角、どちらかを訪れるのなら是非、両方を観れるような時間的スケジュールを設定しよう。施設自体が大きく神聖で荘厳だ。いくら見ていても飽きないので時間は多めにとっておくことを薦める。

(特に夕方から夜間の治安交通状況に不安がある地域だ。行き帰りの移動との絡みがある筈だ)

まあ大雨でも降らない限り通常、昼間なら大勢の観光客で溢れている。がしかし、それに群がる悪人どもも周りに溢れているので注意が必要だ。個人的な感想だが、その密度はタイやバリ島の比ではなく、同じような感覚でいると危険で頭の切り替えが必須だ。感じとしてはジャカルタに近い感じがするけど。。それに加えて東南アジアきっての銃社会だ、特に夜間などは部外者にとって男女分け隔てなく非常に危険だと思う。

静謐な内部、歩いていると厳かな気持ちになる 苦笑

部外者にはため息が出るほど美しい

マリア様だと思う。

キリスト教に関しての知識は私には無いので展示物の説明は出来ないが、敬虔なカトリック教徒が多いフィリピン人にとって憧れる対象であるのは肌で感じることが出来る。

歴代の司教達?がこの下に眠っている。同じものをベルギーやドイツの高名な教会で観たな。

ゆかりの品々だが、収奪品なのか献上品なのかは分からなかった

権威の象徴だったことは間違いないのだろう。

大航海時代に使われた帆船、西欧の覇権はこの技術がもたらせたのだ。

動力は風だけ、GPSやgoogle map無し、 無線や天気予報無し、フリースやカップラーメンなんかも無し、沿岸警備隊などもちろん有るわけない、居るのは海賊だけだ!それこそ何にもない時に、西ヨーロッパからアフリカを抜けてインド洋、またはアメリカ大陸を越え、広大な太平洋を渡り、世界中の海に散って行った当時の海員達に想いを馳せてみよう。しかも、当時における最高造船技術で建造されているとはいえ木造船だ、一度出港したら生きて帰れる保証など何処にもないのだ。

この少し後の時代背景になるが、大航海時代真っ盛り栄光の17世紀に覇権を手にした当時の海運強国オランダで、私は海事歴史博物館に行ってみたことがある。これらの外洋航行型大型帆船は、大型とは言え運航には多くの人員を必要とし常時、数百人の荒くれ男どもが乗船していたらしい。個室は船長だけ、シャワー冷暖房、ベッドや冷蔵庫の類は無し。非常に不潔でメディカルバックアップは己の免疫システムと時折、支給されるラム酒だけだ。

私なら現代でも外洋船は遠慮したい、私が乗ることが出来る船はちゃんと女性が乗っているクルーズシップか、文部省が運航する青年の船ぐらいなものだ。

当時の上陸してきた西洋人達。しかし、ただの観光客ではなかった。

この画像は最もよく本質を表し、このブログ趣旨とも合致している私のお気に入り画像だ。彼らは色々な物を奪っていった、土地文化、言語、香料茶類、金銀財物、民族的アイデンティティ、女性や人的資源など。もたらしたものと言えば、彼らの観念、技術教育もあるが、多くは暴力貧困、宗教、疫病性病、麻薬だ。まあ、それが帝国主義と言うものだろう、最近は多少、形を変えてはいるが、まだ厳然と存在している。

しかし、一体何故、西洋人だったのだ? なんで中国人でなかったのだ?あるいは刀、ちょんまげ袴の日本人、または北南米の人々ではいけなかったんだ?。。この根源的な疑問は長年、絶えず私の中にくすぶって居たのだが、いつの頃からか私なりの理由が胸の中に形を成してきている。

どうやら、西洋人の持つ冒険心、未開や未知を探求したいと思う欲求、それを征服して自分のものにしたいという渇望ではないかと想っている。反対に歴史を見ると、我々アジア人は技術の有無に係わらず、常に自分達の空間的、または文化的に内向きに関心が向いていて、外の世界に関心をあまり向けない性向があるんじゃないかと感じている。(なんか聞いたことのあるフレーズだと感じるのは、わたしだけか?)

日本文化なんか典型的な、内側に向かって開花した文明のように私には見えるが。

他にはない、長い期間にわたり独自に開花した文化と言っても異論はないだろう。

皆さんはどう想うだろうか?

次のその2へ続きます。