近年、我が国も遅ればせながら観光推進政策への舵切りによりあっと言う間に、ドエライ観光国になっている。
たまに帰る私のような人間にとっては、まさに目が点になるような変容っぷりだ。
特に成田空港の鉄道駅辺りで、路線図を前に呆然としている外国人の群れなどを見ると驚きを禁じ得ないと同時に、つい先程までの自分の立場を見ているようで身につまされてしまう。

(実感が湧かないと言うのなら、一度バンコクや台北の路線バスを乗ってみればよい)

旅先では判らないことばかり。。
そして旅は何が起こるかわからないから面白い。。
予想が付かず、色々なことが余り上手くいかない。
だからこそ、それらがが上手くいくと嬉しさひとしお、達成感があり格別なのだ。

確かに困ることが多いが、、結局、最後は何とかなることも多い。。
多少の不便さも、きっと旅の楽しさの構成要素の一つなのだろう。
成熟した先進工業国の我が国から見れば、東南アジア途上国での生活は毎日が不確定要素やトラブルの果てしない連続だ。
それはもう、瞼の奥が疼いてしまう程にやっきりすることも多々あるが、同時に現地の人々に思いがけなく助けられ,その厚意に触れることも多くないだろうか?

物質的に豊かな筈の我々だが、我が国ではとうに見られなくなった類の厚意や好意、またはその行いに遭遇するたび、狭量な私はどう反応して良いのか戸惑ってしまう。

先日の事だが、近所に見慣れないローカルヘアサロンが出来ているのに気が付いた。
そしてそれがどんな具合か、数日後に試してみる気になったのだ。
ある程度の海外滞在経験がある者なら分ると思うが、海外での理容サービスの利用が割と敷居が高いのは周知の事実。

(自分でも良く判っていない自分の希望を、全く出自の違う文化的背景を持つの人にどうやって説明できようか? しかも他言語で。。そしてその結果は大概、悲劇か喜劇に終わることが多い)意を決して店を訪ねてみる。
挨拶しながらドアを入り歓待を受ける。
初訪で予約なし、簡単な希望を伝えて可能かどうか訊いてみると。。
一名の先客が終わるまで待って貰えれば可能だと言われる。
そして勿論了承し、暫く待った後で施術を受け満足に終了する。通常、外国人としてこの手のサービスを受ける前は、後のトラブルを避ける為に事前のさりげない値段確認がスマートな標準手順なのだが。。
この時は調査の意味合いも有ったので、遭えてそれも行わなかった。。
(ボラれても、たかが知れている短時間のサービスだ!)

なんの変哲もない、素朴で小奇麗なローカルサロンだったのだが。。だからこそ、金銭を抜きにした庶民の良心に触れることが出来るのだろうか?

世間話をしながら会計に進み、それと無く料金を訊いてみると。。。

屈託のない笑みと共に出てきた答えに驚いた。。
ナント、料金は要らないという。。
えー、、確かに短時間で済んだサービスだが、自分じゃ出来ない事だし技術がない一般人にも同様に不可能、道具だって持ってないし。。
気持ちは有り難いが、そんなんじゃ商売が成り立たんだろうに。。
店の存在意義だってあるし。。(この場に及んでも理屈を優先する日本人気質が抜けない私)
それでは困るから少しでも払わせてくれと言ったのだが、全然、首を縦には振らず。
出てくるの表裏のない純粋な微笑みだけ。。
まるで希望を伝えた時点で、最初からそう決めていたかの様。。
事前の料金交渉をとばし、顛末を内心危惧した狭量な自分に罪悪感を感じる。

詳細は失念したが、最近だけでも同様なケースが2回ほどあったのをはっきり覚えている。
何故なのだ?見ず知らずの他人にそこまでする?
こちらは外国人、定常客になる可能性より一見さんに終わる可能性の方が大きい筈。
それでも、時折このようなケースに遭遇する。

そして、更に嘆かわしいことに、私は未だにこれらの純粋な厚意にどう反応すべきか、相変わらず良く判っていないのだ。
毎回、つい奥ゆかしさを美徳とする我々の固辞するやり方を出してしまいがちになる。
洋を渡るとどうやらそれには逆の効果しかないと気付くのに、恥ずかしいことに私には何回かの気まずい経験が必要だったとだけ記しておこうと想う。
恐らく、必要以上に遜らずに自然に好意を受けて、相手にスムーズに感謝を伝える方法がある筈だ。
この手の事は西洋人達が熟達しているように見える。
彼らはこのような時、スムースにユーモアを交えながら、後味も良く上手に切り抜けていく。

勿論、所属集団による経済格差は常に付きまとう。
特に先進国対開発途上国と言う眼鏡で彼らを見てしまいがちな我々だ。
しかし、彼らはどうだろうか?
我々がそうするほど、果たしてその眼鏡でこちらを見ているだろうか?
最近、全く自信が持てなくなりつつある。

屋台飯のどこが悪い? 東京にはそんなものは無い?でもあったらよい筈だ。。違うか?

未だ我々が、そんな上から目線で彼らを視ていることが多いのを、彼らが内心気付いていなければ良いのだが。。
もしそうなら我々にとって、それは民族的な大恥以外の何物でもない。
彼らにバレていないと強く願わずにはいられない。

依然として建設ラッシュの続く首都バンコク。その首都圏自体が四方に膨張中で、首都圏第四空港の建設も決まっている

経済発展など諸条件が揃えば何処でもできるんじゃないだろうか?
その時期が違うだけだ。。
ちょうど我が国が西洋諸国を追い、成し遂げたように。。
歴史上、ただ一局面で先行したに過ぎず、民族文化人種の優劣ではないと考えられないだろうか?

今回の地元の床屋で、細かい勘定に内心で神経を尖らせて相手の顔色を伺うなど。。
我ながらなんと狭量な心構えなことよ。。
どうやら私には、まだまだ修行が足りていないは確かなようだ。