毎日毎晩パタヤに滞在していると、誰でもフッと想うことが有るだろう。
何を想うかって? それは十人十色、千差万別、人様々。。
肯定派、否定派、中道派や、または自問のスパイラルに陥る者や地獄の底を覗く者、または全てを諦め本当に昇天して逝く者等、、とそのやり方は多種多様だ。
試しにパタヤのニュースサイトを覗いてみると非常に面白い。
悪事に手を染める者、反対に善行を行う者、ちょっとした不注意で最悪の結果に陥る哀れな旅行者、困窮する行き場のない外国人等。。
人生の長旅で、やってはいけないケーススタディーの題材として枚挙に暇がなく、色々と参考になる筈だ。 (まさに他人の身を見てなんとやらだ! 笑)
パタヤに流れ着くには、誰でも色々とやらかした前段がある訳だ。
言ってみれば訳アリ。。
みんな訳あってこの地にたどり着くのだ。。
(最近は、サラッサラの観光で来る新興国の若いカップルや家族連れなども居るにはいるが、私には何故こんな所に来てわざわざ泳いだり、ベビーカーを押す気になるのか? 全く理解できない。。)
本国では首までドップリとドツボに嵌まっている者や、そこからやっとのことで這い出して生まれ変わり心機一転を図る者、冴えない人生の戦いに疲れて起死回生を目論む者、または官憲を含めた様々な物から逃れてきている者など。。
そしてパタヤで半世紀以上続く無形のゴールドラッシュに一獲千金を夢見る者などが加わるのだ。
そして同時に内国からは、借金に首が回らなくなり、仕方なくこの地に金を稼ぎに来る者、農期の閑散期に臨時収入を求める者、アルバイト感覚で手っ取り早く学費や遊興費を稼ごうとする首都圏からの学生、または最後の頼みの綱としてパタヤの錬金術に望みをつなごうとする者などが加わる。。
このように様々な理由や意図、そして希望や絶望を胸に今日もパタヤの一日が過ぎて往く、、各人の人生模様を引き摺りながら。。
以前のことだが、、パタヤに足蹴に通い始め、更にこの地に深く嵌まりこんでいく私が、自身のこの地での活動スタンスと交友関係の設定に悩んでいた時があった。
そんな私を見て、長い間親しくして貰っているパタヤ在住の先輩ファランの友人が私に言った。。
パタヤに居る奴って一体、どんな奴だろうかって考えたことあるか?って。。
いきなり痛いトコを突く質問に一瞬、答えに詰まる私を視てさらに続ける。。
パタヤが桃源郷に近いのは間違いない! 性の国際自由貿易港とか、男のディズニーランドとも言われているし。。 笑
問題は此処に集まる男達だ。。どう想うか?と言うのだ。。
我々自身の胸に手を当てて考えてみよう。。
中々、応えるのが難しい事を言うな。。
我々自身の名誉の為に言っておくと、私も彼も大きな罪を犯すような人間ではない。
誰もパタヤ以前の人生のステージで何があったかは知る由もないが、、彼など完全な富裕層の御仁だし、、私自身も、生まれてから今日まで後ろめたい行いは犯さずに済んできている類の人間だ。
しかし、どんな奴が此処に集まって居るかと言うならば?
多くはロクな奴じゃない者だろうと応える他ない。
第一、この地パタヤでベストフレンドや心から信用できるビジネスパートナーが見つかると想うか?
この欲望が更に欲を惹き寄せ、煌びやかなピンクのネオンが街中に四六時中灯るが、内実はそれとは裏腹に闇がドス黒く渦巻く街で???
彼が言うには、あまり手や顔を広げ過ぎずに自分の手の届く範囲で活動を続けていくのが長くこの地で暮らす秘訣だと言う。
キーワードはローキーだとも言う。
控えめで抑制を効かせた、目立たない様を表す英語の慣用表現だ。
得てしてSNS全盛、顕示欲や虚栄心、自己陶酔や薄っぺらい共感等がメイン・スパイスの現代社会だ。
これにパタヤではどす黒い欲望がミックスされる。
虚栄心と欲望を混ぜると、完璧な災難のカクテルレシピが出来上がるのはいつの世も同じ。
あまり極端なことをやり過ぎると、あっと言う間に陶酔と同時に別の類に問題も引き寄せてしまうらしい。
どちらも強い眩暈を伴ない、一度引き寄せてしまうと中々抜けないので気をつけるのだ!
と貴重なインスピレーションを啓示していただいた。
パタヤ堕ちと言う言葉もあるが、、パタヤに堕ちるとそこから先はあまり遠くへ行く場所は無いと言われる。。
その昔、イーグルスが名曲のホテルカルフォルニアで唄ったことがある。
チェックインはいつでも出来るが、チェックアウトはとなると。。というくだりに情景が重なる。。
それから10年近くの時が過ぎ、、相変わらず私はパタヤに延泊中だ。。
近日中のチェックアウトの予定はなく、そのさん算すら見当もつかない。
しかし幸いにも、今のところ何の問題も起こさずにパタヤ・ゴールドの分け前に細々と預かれていて、その現状にも満足している。
パタヤは終の住処にもなりうるが、実際はあくまでも人生の長旅の一時的な仮の停車駅なのだ。
終着駅ではないので、これを忘れてはいけない様に想える。
昨年のことだが、わが祖国の紙面を一時賑わせたここパタヤを舞台にした邦人グループによる悪事なんかも記憶に新しいが、ビアバーに座りながら喧噪、嬌声、アルコールに曇る頭の中で引き続きローキーで過ごしていきたいと想った次第である。
皆さんにも色々と想うことが有るだろうかと。。
私が想うことは今しがた話した通りだ。
今度は貴方の話も是非聴かせてほしい。
私はその辺のビアバーで大概、静かに独りで座っている。
待っているので遠慮なく声をかけてくれ。。