数か月前に挙げた事のあるソイニュープラザにある旨い安い早いローカル飯屋記事の続きを挙げる。

ソイ・ニュープラザ。
華やかな歓楽街パタヤの表通りの一つのセカンドロードと、一癖も二癖もありあまり表に出せない妖しい裏通りのソイブッカオとを、なにげに繋ぐソイだ。
そしてこのソイに目が向くようになったら、自身の生物学的年齢と概念的な精神年齢の変位にも目を向ける頃合いだと想う。苦笑

依然として(今のところ!)万人に必ず訪れる老齢期だが、幾つになってそれを自覚するのはたやすい事ではない。減退と共にその関心も薄れればよいのだが、、事はそうは簡単ではない。手に入らないと解った瞬間に余計に欲しくなるのが人間だ。後に残るは焼かれるような焦燥感だけ。だが待て! 諦めるにはまだ早い! ここパタヤではそれをもう少し長らえることも可能。但し、自身がそう望めばの話だが。。。パタヤが世界の中高年男性の終着駅、最後の桃源郷と言われる所以だ。誰にでも幾らか時計の針を巻き戻すことが可能だ。何周回せるかはあなた次第だが。。。写真はさながら老人ホームに見えなくもないパタヤの日常。毎日、随所で繰り返される一コマだが、同じ老人ホームでも私なら迷わずこの地を選ぶだろう!

パタヤ戦線のフロントラインからは、とうに退いた訳のありそうな中高年ファラン達で賑わっているのが、このソイだというのは前に述べた通り。

ソイニュープラザの旨い安い早いローカル飯屋の前記事はこちら

私も相変わらず、昼飯物色に妙案が浮かばなかった時などに無難な代替案として周期的に利用を続けている。
今回は前回紹介の店舗の真隣りの店舗をリポート。正直、店舗概要に差は無く、外観や業務内容にも差を見つけることは難しい。
店舗名も定かではないので注意をしないと店舗の区別も難しい。
しかしだ、店舗自体の類似性が高く没個性だが客は明確にそれら区別している。

勿論、価格体系にも差異はなく標準的なローカル価格でなんの心配もない。国全体が食の激戦区のタイでは、ローカル向け店舗である限りサプライズは無しという暗黙の了解がある様に感じる。

一体、どのように区別、差別化、タグ付けされているのか?
この点は、私も長期重度のパタヤリピーターの一人として大いに興味があるので幾度もほぼ毎日、ローカル達に恒常的に訊いている。
そしてたどり着いた結論はというと、彼らはどうも一品一品の料理の個性で区別している様なのだ。

ヤム・コームーヤーン? 料理名は不確かなのだが、ローカルに私個人の好物コームーヤーン(豚喉肉の炙り)の旨い所を何処か教えてくれと訊いてみたところ、、この店にたどり着いたって訳だ。。

舌の肥えた国民で溢れる屈指の外食文化を持つタイの皆さん、ほぼ毎日外食していても決して飽きることは無い程の店舗数が国中に存在する。
その彼らに店舗情報を乞うと時々、興味深い事に気が付く。
彼らが返答するのは決まって店舗所在(この点は当然、彼らも外さない!)
と、旨かった特定の料理についてだ。(何処ソコのカオマンガイが辛くて一番旨いとか)

洪水の後のソイブッカオの側溝のようなみてくれのキノコの激辛スープ ゲーンヘットとカオニャオ糯米。。私のもう一つ好物でもある

一般に我々日本人が重要視する店舗名や営業時間などは、二の次になることが多いのだ。
中には店舗自体に本当に名前がなかったり。。
営業時間や定休日の具体的な設定が無かったりと。。しかし、彼らの関心のある対象料理については、私見を交えて驚くほど詳細な情報を述べてみたりするのである。
そして実際に現場に行ってみると、、店舗関連情報の曖昧さと正反対の正確なフードインプレッションだったと、思い知らされることが多々と。。
彼らにとっては一義的にその料理が旨かったという事実を最重要視するのだろう。
店名など何でもよく、具体的な営業時間などもどうでもよいのかも。
腹が減る飯時に行けば開いている筈、そうでなければ出直すまでらしい。
これもマイペンライの大らかな楽天的思考の賜物なのだろうか?

個性的なジャー入れられた飲料水。全体的には没個性だが、よく見ると個性は味や細部に隠されているのが個人店なのだ。この国では、一般に繁盛店はよく工夫がなされていて、彼らの持つ旺盛な起業家精神が垣間見える

最後になってしまうが、そんな経緯でよくお世話になるソイニュープラザのローカル飯屋。
前回紹介の店舗の隣、ソイブッカオからもセカンドロードからも徒歩アクセス可能、素朴な夫婦がやっている地元ワルンだ。

すべてのメニューを食べている訳ではないが、どれも本当に美味しい。。

夜間の猥雑な賑わいとは対照的に昼間はとても静かなソイ・ニュープラザ。
落ち着いて食事がとれるパタヤ侍にとっては穴場的スポット。
それが入用ならきっと気に入ると想う。。