1980-90年代の一時期、栄華を誇ったバリ島のナイトライフ。
当初の中心エリアはクタエリア繁華街ジャラン・レギャンエリアだった。
そして、2000年代初期に起こった凄惨な2度の爆破テロ事件を経て。。

(バリ島の爆破テロ事件についてはこちらにウキペディアの概略を載せておきます)

特に2度目のテロの時は、私自身も現場近くに居合わせて、2度の爆発音、衝撃波を実際に感じ、後に勃発した大混乱に遭遇したのでよく覚えている。
いずれ、その時の体験記事を書いてみようかと考えてはいる。

その街の発展が次第に北へ伝播し、2000年代初頭以降にはその5km程北に位置するスミニャク・エリアにトレンドエリアが移動。

そして更に時が推移、2010年代以降、発展のベクトルは北上を続け、クロボガン、ウマラ、チャングーエリアに完全に移動して、言わば旧市街のクタレギャンエリアとは切り離された別個の経済圏を形成し現在に至っている。

そして現在。。
時折、所要などでかつての中心地のクタ・スミニャクエリアを訪れてみると。。。
当時を知る人間としては驚く程、街中が空いていて。。。
時の移り変わりを感じざるを得なく、同時に当時を想いだし感慨に浸ることがある。

そんなスミニャクエリアに、波が切れた週末を利用して覗いてみる事を思い立ったので、短くリポートを挙げる。

(私がバリ島に居着きだした頃、連日連夜、頻繁に遊びまわった記憶のある、今となって一昔前の甘酸っぱい記憶でしかない。。笑!)

スミニャク・エリアは クタからそのまま北に続いているレギャン通りから延びる3本の通りを知っていれば良い。
通称ジャラン・ダブルシックス、ダイナプラ、オベロイの三つだ。
3つともキャラクターが微妙に違い、敢えて言ってみるなら、、順に一般観光向け用途、夜遊特化、ダイニング向け用途になっているが、今現在はその境も限りなく曖昧になり、全体が不明瞭で何処となく斜陽エリア的な雰囲気を醸し出している。

私が当時よく現場で活動していた時から十幾年の時が流れ、世相も大分変わり、社会の流動性も比較にならない程高いのは周知の事実。
SNSが爆発的に普及した今では、社交生活もかなりの部分は電脳空間で行われる。しかし。。。しかしそれは全てではない。
まだ、依然としてあるのだ!
既存のスタイル、オールドスクールが。。
特にちょっと他とは違う関係のエリアでは。。久々に訪れるバリのアッチ系夜遊びエリアのジャラン・ダイナプラ、当時はよく日本から訪れる知人などを、半ば強制的に放り込んだりして楽しんでいたエリアだ。

それから大分、時が流れたので前もって下調べをしてみると、週末の夜などは依然として遅くなればなる程に、かなりの賑わいになるとあるので、多少早めに現場到着してから、付近で暫く様子を見てみることにした。シーシャをやりながら通りを観察していると、、大体、午後11時を過ぎたあたりから人が集まりだす。
タクシーで乗り付けるグループや、近隣ホテルから徒歩で来るカップル、またはバイクで横づけする独立型滞在者など、ステイタスは多種多様。
しかし、場所柄か?男性の数が多い。。笑

または私のように近隣のバーレストランで待機しながら過ごし、頃合いを見計らい移動を目論む者達の姿も。。
同時に夜更かし歓楽街的エリアな為か? 華やかでタイトなスタイルの性別不明なフリーランサーらしき人達も辺りを徘徊しだす。通りに充分な人達が集まりその流れを目で追うと、彼らの行先は概ねMixwell Bar, Bali Joe, Bottom up Bar, F Barの4択の様だ。
シーシャを吸い終わり、12時少し前あたりに店内に突入を試みる。
既に店内は超満員でごった返している。やはり、男性中心の観客層だが、女性と中性?の姿もかなり見受けられる。
妖艶なドラグクイーンショウ、ボーイショウなども始まっている。
同時にそれらをナントカ静止画や動画に収めようと撮影を試みるが。。
混雑と光量不足、被写体の激しい動きで上手く行かない。。

午前1時を過ぎたあたりからは人の波が店外に溢れだし、隣接する店の外もごった返し。。店内への出入りは自由、カバーチャージなどは無い。
隣接する店の間を回遊するのも自由だ。
各自、ドリンクを随時購入するだけだが、混雑しているのでそれは困難を極める。
大音量と煌びやかな照明、たばこの煙が渦巻く店内は混とんとしている。各種ショーも始まり大盛況だが。。
観客でごった返す店内に隙間を見つけて潜り込んでみるが。。立ち込めるたばこの煙、大音量に圧倒されながら画像撮影に奮闘するが、疲れ果て外に溢れ出てしまう。。

そして店外で少し冷静になって我に返ってみると。。
冒頭で触れたテロ事件の記憶が甦る。。
あの事件以降、バリ島では週末の夜に繁華街に出るのに不安を感じ、辞めていたのを思い出す。
当局も対応はしてはいるが、何といってもインドネシアは世界最大の人口を擁するイスラム教国家で、バリ島はそのイスラムの大海に浮かぶ小さな孤島。
しかも、彼らの言う異教徒が多く訪れる言わずと知れた国際ビーチリゾートアイランドで、その筋にとっては相変らずの甘すぎるスイートターゲットであることには今でも変わりない。
路上にまで人が溢れだし、、彼らの宗教的価値観をかなり遺脱した西洋型の享楽主義が謳歌されている。。。

あのときも週末だったな、、というかそれらが起きるのはいつも週末なのだ。。当然!
クタのテロ事件メモリアルのある現場には、20年近くの時が流れた現在でも、週末の夜間を中心に治安部隊の警備が敷かれてはいるが、ここではそれらの存在は何故か皆無だ。。

なんだか、私は次第に落ち着かない気持ちになり。。。
画像撮影の不首尾も重なり、、午前2時過ぎまで粘ったのだが、最高潮の大盛り上がりの興奮渦巻く現場を後にすることに。。

(一度、不安な気持ちに陥ると、、もう楽しめない小心者の私だ)

追加リポートは後日、平日の夜に再挑戦をしようと目論んでいる。
中途半端なリポートで恐縮だが、週末の夜はその種の人達で盛り上がっているのは間違いない様だ。
特に、近隣地区のレギャン・スミニャクエリアに滞在する夜更かし組には、滞在中、一度くらいは訪れても良いように思う。

パタヤ程の分厚い集積には到底及びはしないが、それでもいち個人が一週末の夜を過ごすには充分なボリュームは有ると言えるだろう。

近年の東南アジアの競合地域の追い上げも激しいが、バリ島は今でも抜群の集客力を維持している。
その一つの熱い夜遊びエリアジャランダイナプラ、バリ島では波乗りでもやらない限り早寝はナンセンス。
折角だ、ちょっと行って観てみて非日常感を味わっても良いのではなかろうか?