前記事に引き続き、近年に撮り溜めた画像と記憶を掘り起こしを続けようと思う。しばし、お付き合いを。

日本では確か天然記念物でなかったか?一体、どのように食べるのだろう?ナクルア海鮮市場

バンコク都民の憩いの場 ルンピニ公園。朝夕は、広大な敷地内でジョギング、サイクル、野外ダンス、青空ジム等に市民が集まる。

日中、気温は軽く30度を超えるが、野外で生肉や海産物を取り扱う市場。毎回、臭気と光景に眩暈に襲われる。      クロントーイマーケット・バンコク

願いが叶うとして市民が集まるエラワンプーム廟。2015年だったか、この場所で爆弾テロが発生し多数が死傷した。 チットロム バンコク

昨年開業したタイで一番高いビル マハナコン・バンコク。最上階の展望デッキ・スカイウオークは一度は行きたいスポットだ。高架鉄道BTSチョイノンシー駅から撮影

部外者にはため息が出るほど美しい。サン・オガスティン教会 イントラムロス  マニラ

荘厳なマニラ大聖堂、大きいのでスマホカメラに収めるのは難しい。イントラムロス マニラ

水平線の遥か彼方には、もう一つの有名なビーチリゾート・ホアヒン。意外と大きいのがタイ湾だ。夕陽が水平線の向こうに沈んでいく  セントラルフェスティバル パタヤ

快晴のパタヤ、この開放感が堪らないんだよな、、パタヤ・クラン

プラタムナックヒルの上にある黄金のビッグブッダ ワットプラヤイ パタヤ

先週、チェンマイのジップラインで再び落下事故が起きたばかりだ、私は辞めておく。 勇者はどうぞ!  パタヤタワー ジョムティエンビーチ パタヤ

果物の女王マンゴスティンの露店販売、4kgで100バーツだ。旬のトロピカルフルーツの食べ放題は、東南アジア滞在の醍醐味の一つだ

ランブータンも本当に安く40バーツ/kg、在住者の特権 ソイブッカオ パタヤ

よく目にする、室内で飼われている何やら怪しい昆虫。大事そう飼育されているので食用だと想っていたのだが、どうやら違ったようだ。    ソイブッカオ パタヤ

決して、ご飯にかけたりするのではなく、精霊信仰にまつわり宗教的な意味合いがあるらしい。

極めて直球ストレートな店名が目を惹く巧妙な作戦だ。   ソイブッカオ パタヤ

世界有数のサーフスポットで、多くのレジェンド達を輩出したこの地。彼らを讃えるレリーフが。 ブキット半島ウルワツ バリ

神々の島で週末の夜に消費される恐るべきビールの量。罪深く罰当たりだが、同時に畏怖の念を感じる。 シングルフィン ウルワツ・バリ島

現在、齢62歳になる私のウイングマンBJ氏。国際的な武闘家でもある。アウトサイドコーナー・ウルワツ バリ

水の都バンコクの便利な庶民の足だが、運河の水質の汚染度は深刻なレベルだと言われている。乗船時は飛沫に注意し決して落水してはいけない。 センセープ運河 バンコク

台湾路地裏シリーズ                 重慶北路 台北

日中は静かな台湾路地裏の風景                重慶北路 台北

なんか、こう懐かしい感じがする光景が拡がっている

モノトーンの路地裏に、強烈なコントラストで映えるトロピカルフルーツ達。   重慶北路 台北

漢字を目にすると親近感を抱かずにはいられない。 華山市場 忠孝東路 台北

繁体字と言われる台湾で採用されている漢字の字体。日本の旧字体に近いのか、なんとなく意味は分かるが書くのは無理だ

タイのコムローイより、ふた回り程大きい。 十分にて 平渓 台北

長閑な山間の駅での列車待ちの風景。日本では考えられないスタイルだが 十分車站

台南は歴史的建造物が多い    赤カン楼 中西区 台南市

道教寺院は、我々の仏教寺院と似ているが、何かが決定的に違う。 玉井村 台南市

台湾マンゴの有名な産地である玉井村。村の中心部には集荷場を兼ねた市場があり、国内向け流通の役割を担っているが、近年は外国人観光客も押し寄せている

台湾産のアップルマンゴを使ったセミドライマンゴ。砂糖を添加せずに、スライスし天日干ししたもの。絶品だが意外と高価だ。

観光整備事業により綺麗にライトアップされ、余計に哀愁を感じる雰囲気抜群の愛河。付近は恋人たちの聖地とも呼ばれ、数社が運航する愛之船リバークルーズは、手頃なエクスカーションになる。断然お薦めなのは、夕方のライトアップ時だ。高雄を訪れるなら、是非一度お試しあれ!

以前は、海峡貿易で栄えた高雄、今ではれっきとした国際先進貿易都市だ。その昔、この河を下り世界に散って行った先人達に、いっとき想いを馳せてみるのも良いかもしれない。

ステンドグラスを使ったパブリックアートショーも行われ、国際的な受賞歴もある高雄MRT美麗島ターミナルだ。                中山三路 高雄

ブキット半島南端、高低差が100m近い断崖絶壁が続き、海岸線は隔絶している。その為、こんな感じの非公式なお手製アクセスが随所に。ここでは2箇所ある支持点のうち一つは既に壊れていて、梯子の向こうは約80m程の垂直降下だ。怖すぎてこれ以上の写真は無理だった。面目ない!       Pecatu uluwatu Bali

夕方のパタヤビーチ。ベトナム戦争時の米軍将兵の保養地として開発が始まったパタヤビーチ。今では街自体が全く変わってしまったが、落日の風景は当時のままな筈だ。この夕陽の風景を思い浮かべながら、戦地に散って行った若い命も少なくないと言われている。

とまあ長くなってしまったが、まだまだ撮り溜めた画像と心の中に残っている光景や出来事は、到底、カバーしきれない。

一般に東南アジアの若い女性達にとり、セルフィーは彼女たちの人生の重要な一部らしい

このシリーズも以後、想いついた時に不定期で更新していこうと思う。
見て貰え何かを感じる一助にでもなれば私としては喜ばしいかぎりだ。