また、現地で懇意にしているご近所さんから朝の便りが届いている。日本では桜の季節、タイ王国では年内の最大イベント・ソンクラーン水掛け祭り、そしてバリでは待ちに待った乾季の観光ハイシーズン到来、サーファー達にとっても西岸の主要スポットが本格稼働するドライシーズンの到来直前の季節だ。

トレードウィンド(貿易風ともいわれる例のやつ)が、徐々に入れ替わる移行期でもあり、一般に風が弱まる傾向がある。旨くすると島内の両サイド(通常は季節風により乾期雨期スポットと約半年ごとに入れ替わっている)が稼働することもある侮れない季節だ。 海況予想を見てみると、、ウーン、近接の低気圧があるが、まあまあいいな。現在の減少するウネリの上に、間断無く明日からの新しいウネリが重なり、明日の午後にピークアウトの2300KJ、2,2m、16秒となっている。そこそこのサイズが出る筈だ。

慣れてはいても、時として画像に残しておきたいような一瞬が出現する。

予測通りのウネリが実際に到達するかは神のみぞ知るわけだが、場所によっては上の写真位のサイズにはなるのではと想う。羨ましいことこの上ない!仮に風が弱ければ全域が始動しだして各スポットが更に空くこと請け合いだ。この時期に、彼の地に行ける人は是非考えてみるべき。年間を通してコンスタントに波のあるバリ島だが、もし私が選ぶとしたら文句なく3月から6月を筆頭に選ぶだろう。

混んでいてもこの程度の波乗り天国が出現する。画像は落ち着いて斜面を降りてゆく友人Y氏、軽く一挙動入れてからボトムに向かうのは玄人の証で流石だ。

同時に西岸の乾期サイドも始動し始める。西岸は半島最先端のウルワツを始めに十か所以上のメジャースポットが連なり、、

通称ボミーズ、午後のあまり良くないコンディションでも、文句を言わなければまだまだ使えるのがウルワツ。No1プレミアムスポットたる所以だ。

これに加えて更に多くのマイナースポットがある。各自、サイズ、技量、好みに応じて選べばよい。

バリウエーブからの拝借引用画像。 海底の棚状になったサンゴ礁に沿って割れるバランガンの波。浅瀬に達する中盤が特に速い波でコケると非常にマズイ。ミスの許されないセクションを、教科書通りのボトムターンで果敢に抜けていく友人トビー氏。

1970年代から世界でも指折りの波乗り天国として開発が進むバリ島。今ではリゾートアイランドとしても広く認知されているが、マス・ツーリズムによる弊害も色々と挙がり、状況は深刻だ。しかし、波は相変わらずだ。常駐の知人がある年に数えてみたら、選り好みをしなければ年間の稼働日数は300日を軽く超えたと言っていた。

鋭いサンゴ礁の上を勇敢に沖に出ていく友人H氏、しかも裸足だ。

近年のバリ島の様に整備され利便性が高く、且つ、こんなに波の在るところが他にあるのなら、是非、私が知りたい。サッと、手元にある画像を出してみるので、もし訪問予定のあるサーファー諸兄達のインスピレーションにでもなるのなら、私としては幸いだ。

ほぼ毎朝、一緒にやる親友2人。人生の波に関しても彼らから習うことは未だに多い。珍しく一フレームに収まった。ウルワツ

この日はサイズが上昇中で、この珍しくも突然訪れたこの肉食のハードコアローカルより波の方が怖くて、その時は気にはしていなかったのだが、後から考えるとやはり畏怖の念を抱かざるを得ない。トラック位の体長だが、高等知能を持つと見え、我々のやる様に波と戯れていて、驚きを禁じ得なかった。怒り出さなくて何よりだったな。この画像は、たまたま私が譲った波をそつ無く乗って行ったハワイ出身の誰かの友人、面白くも有名な写真が残ってなによりだ。(ウェブ上から引用拝借)

ディープに決める、2年連続で日本から来てくれた友人M氏、ウルワツ・テンプル。

ほぼ、10年間に渡り、私のウィングマンを務めてくれた友人P氏。絶滅危惧種の二―ボーダーだが、ナメてはいけない。彼らのテイクオフスポットは我々のそれより3mは深い。

これも拝借引用画像だが、ディープにウルワツ・テンプルを攻めるP氏。この後、頭部をリーフに強打し、病院送りに。気絶ギリギリで何とか溺死は免れたが。時として非常に危険なサーフィンだが、一瞬に懸ける想いは他と同じ。うまく行くこともあれば、行かないことも。それだけの事。

とまあ、こんな感じだ。2020年の東京オリンピックの公開競技になっているサーフィン。1980年代の何処となくあったアウトロー的なしょうもない遊び的イメージからは今では隔世の感がある。我が国ではスポーツとしての認知に向けて、空前の追い風の状況だ。我が国の公的機関にもそれが進みつつあるようだし。。このまま順調に、我が母国でもサーフィン文化が広く受け入れられ発展成熟していくことを、遠くて近い有力国インドネシアから見届けたいと想う今日この頃だ。