例えどんなに好きで気に入っていても、いつかは終わりを迎えるパタヤ修行。この地での在家信者でない限り、いつかは行かなくてはならない。人によって感じ方は違うだろうが、多くの修行者は終わりが近づくにつれて段々と気が滅入ったり、意気消沈したりする。俗にいうパタヤブルーだ。しかし最終日ともなると、もはやこれまでとそれを受け入れる気持ちが芽生え、(あきらめの境地か?)どうせなら最後の瞬間まで絞り切るようにパタヤを楽しもうという気になる。(破れかぶれの心境か?)皆さんはどうしているだろうか、最終日? 心残りの無いように悪あがき、文字通り最後の最後まで絞り出そうとするのか?または悟りの境地で潔く事態を受け入れ、静かに大人しく過ごしているのか。。私は今回、当初の最大2週間余りの滞在予定が諸事情により急遽、僅か4日で出国しなければならない憂き目に遭い、到着の喜びを噛みしめたり、エンディング・パタヤブルーを感じる間もなく、慌ただしく出国する珍しい経験をする羽目に。そこでざっと最終日の過ごし方を書いてみようと思いたった。皆さんも既に何度も似たようなことをしていて、特筆するようなことは何も無いかもしれないが、人によっては標準作戦要領の参考にでもなるかとも思うのでご容赦願いたい。まず自室のチェックアウトだ。これは通常午前10時から12時の間に済まさなければいけない。部屋をすっかり空にして貴重品、携行小物等も確認、宿泊者ステイタスでwifiが使えるうちに、Web check-in、Flight status,交通機関運行情報、気象治安情報、渡航先情報等のチェックを済ませることも必要。(これらを怠ると東南アジアでは、時として現地サプライズに見舞われる) 全てをまとめ完了したら、荷物はちゃんと施錠してフロントで預かってもらおう。 それから朝飯だ。出発間際だ、豪華である必要はない、手早く済まそう。大体、こんな感じのどっちかだろう。パタヤ修行僧にとり空路出国の選択肢は大体、首都圏空港の3つだろう。そのどれをとっても一筋縄にはいかない。周到な準備か事前予約が望ましい。

そして時間には余裕をもってやりたい。移動手段を問わず、LCC空港のドンムアンなら遅くとも出発5時間前、スワンナプームなら4時間前にはパタヤを出たいと想っている。(朝夕のラッシュ時間帯が絡む場合は見当もつかないので、首都圏前泊もありだ。早期のBTSドンムアン空港線の完成が待たれるだけだ)夜間出発便利用などで午後丸まる空き時間があるような時は、土産等を購入するのもこの時間だ。上はタイ産マンゴの高級品種ナン・ドックマイ。大きな声では言えないが、楽しみにしている人が居ると想うとつい買ってしまう。但し、少量に留めておこう。さてチェックアウトもし、飯も喰って土産も買った。まだ時間に余裕がある、行くなら今しかない!ここからが最後のお楽しみの時間だ。何処にいく? どこで年貢を納めるか? 時間、残存所有通貨、体調、気分、昨夜の修行の影響等、色々と考える諸要素はあるが大事なことが一つ。出発間際のトラブルは致命的なのでくれぐれも安全に遊ばなければいけない。今回私が向かったのは、長年のパタヤ底曳き網漁の漁場ソイ・チャイヤプーン。人によっては魔境とも呼ばれているが、私にとっては底魚の漁場だ。簡単で単純な漁法、且つ、ほぼセットプライスで餌代やコマセも必要なし。外道ばかりで高級魚は居ないが魚影魚群だけは安定していて、活性、喰い付きも常に良い。選り好みをしなければ、いつでも辛うじて釣りにはなる。時間が無いので空振りだけはどうしても避けたいラストミニッツ、このような状況にはピッタリだ。

外は強い日差しが照り付けて暑く、退廃的で怠惰な雰囲気が全開の通りに徒歩で足を踏み入れて先ずは一航過、魚探を廻しながら探してみようと想ったら、店先でいきなり捕まった。店先で昼飯を捕食している根魚たちだ。昼間からアルコールも多少呑んでいるようだ。普段ならこの通りはバイクで流すのだが、この時は徒歩で入ったのが運の尽きだったようだ。見ての通りで条件は何処も変わらない、ちゃんとやる気ならあり得ない、オイル・タイ・フットが同額な200Bで乱暴投げやり料金設定。(最初からそんなのやる気はサラサラないのだ、笑)

後は時価交渉。店が暇だから是非寄って行けという。ちゃんとサービスするからとお決まりの文句で、なんだったらここで飲んで行っても良いと。ますます直球で魅力的なお誘いだ。
見たまんまの熟女で念のため魚齢を訊いてみたら35歳だと言う。(訊いただけ馬鹿な私だが。汗) しかし、そんな必死でもなく、しつこく押しも強くない。ちゃんとしていそうで、ある種の潔さも感じて何だか好感も持てる。こんな仕事だがみんな必死で働いて田舎の家族を養っているだけなのだ。タイムリミットが刻々と迫る身の私、この魚なら後で道具を持っていかれるような酷いトラブルにもなりそうもないので、その場即決で決めて中に入る。これだ、薄暗く怪しく小汚く限りなく胡散臭い。まさに魔界とは、よく言ったものだ。幸い他に客は居ない。私がこの手の漁場を苦手としている大きな理由は、競合する他船の操業音が聞こえるのがいやなのだ。プライバシーは私にとって必要十分条件で安心安全操業には必要不可欠。だが、、、操業の現場はと言うとこれまたお決まりの。。上はガラ空きで筒抜け必至、床にはミステリアスなタライらしき物と手桶か?(濁った水は、考えるだけで恐ろしい! 使うのは相当な猛者だろう)そして、前の漁業者の奮闘の後がありありと窺える、最後にこのシーツを洗ったのは先週か??で、条件交渉に入ると手餌漁法が500、口引っ掛け漁法が700、一本釣り漁法が1000Bとのことでこれも標準的か。そして漁法を選択し、首尾よく投網したその時にファラン競合船が到着して隣の漁場でいきなり操業を始める。乱暴者め!

詳細は割愛するが、丸聞こえしてくるノイズから窺えるその傍若無人な外国船ときたら。。。震度が5強くらいで、国連が定める人権条項に最低4つは違反しているであろうことは容易に想像できる様態であった。

無事に操業を終え、外に出て見回すと結構、あたりを遊弋する単独ファラン遊漁船が目につく。なるほど、このような遊びかたもあるのだなと再認識だ。時計を見ると中途半端な時間が残っている。修行の後の心地良いひと時、こうなったら毒を喰うなら皿までだ。最後の最後まで快楽を貪り尽くそうと想い馴染みのシーシャ・カフェへ最後の一服に向かう。そして遂にタイムアップだ。荷物を回収しパタヤ・ノースバスターミナルへ。各個人の個々の事情でパタヤを離れる人々で溢れるターミナル。微かな悲哀と旅情を感じるのもこの時だ。無事に車上の人となり一路、ドンムアン空港へ。途中の発展著しい煌びやかなバンコク都心中心部を通過し、タクシー乗り換えで所要約3時間余りで無事空港到着。しかし、まだ気を抜いてはいけない、旺盛な訪タイ中国人観光客の群れが恒常的に溢れるタイの国際空港。チェックインまでの行列に気が遠くなるのもこの時で、乗り遅れまいかと焦るよりは早めのスケジュールを練ったほうが良い。搭乗口に辿り着くまでは長い道のりで非常な忍耐時間を要する。それでも計画通りに時間の余裕が出たのなら、近年開業した新ターミナル2に各種の名店がテナント入居しているので覗いてみても良いだろう。出発前のキャビンクルー達も頻繁に利用しているので品質は悪くない筈だ。

(画像は親指アップのシンボルが印象的なタイ茶の名店Cha Tra Mue, 近年、精力的に多くの上質な新商品が投入されていてタイ土産にぴったりだ。特に即時利用ならアイスクリームは絶品)他には、お馴染み秀逸コーヒーチェーン Black Canyon coffee、シグニチャーのブラックキャニオン・ストレートコーヒーは、何処の店舗でも味風味にばらつきが無く、そこそこ旨いコーヒーで空港などでの用途にはピッタリ。東南アジアに広く展開しているタイ資本?のコーヒーチェーン、食事も悪くなくアマゾンコーヒーと並び私は好きだ。下はブラックキャニオン・ストレート。クレマも香りも力強くしっかりしている。
アイス系ドリンクも多彩なバリエーションがある。
多少、慌ただしかったが、チェックアウト業務、最後のダメ押し修行、駆け込みシーシャ、空港移動、アイスとコーヒーを詰め込んで最後に免税店。以上で全スケジュールが完了し離陸、。めでたく機上の人となり眼下に夜景きらめくバンコクを後にする。今回の行先は一路、名古屋セントレア空港だが季節柄か?所要時間が僅か5時間余りだ。パタヤードンムアン空港、日本国内での移動時間とほぼ同じだ。世界は我々が思うよりずっと近いのだ!少なくとも時間的には。暫く寝入ってから目が覚めると、漆黒の闇が徐々に白み始め、短い夜が明け始める。もう1,2時間すれば着陸だ。振り返れば12時間で約5000km距離を移動することになり、慣れて来ているとはいえ身体的負担は年々、辛くなる一方だ。しかし、その繰り返す苦行をも帳消しにしてしまう魔力がパタヤにはあるのだ。それに苦行試練あっての享楽ではないだろうか?仮に毎日、ソイ・チャイヤプーンに足を踏み入れていたらどう感じるのであろうか? きっと違った感じ方になる筈だ。パタヤに満たされるために一度出る、そんな気構えでも悪くなかろう。何しろパタヤから先に行ける場所はそうは多くない。地獄か天国だけだとよく言われているので大事にしなければいけない。次はいつになるか? 人によってはすぐには戻れないケースもあろうが、幸い私にとってはそんなに先のことではない。いずれにせよ、自分自身さえしっかりしていれば、パタヤは何処へも行かない、消えて無くなりもしない、少なくとも当分の間は。行儀さえ良くし幾何の金さえあれば誰でもいつでも歓迎してくれる罪深くも、同時に懐の深い街なのだ。そう、誰でもだ。私やあなた方も、例外なく彼らはいつでも待っていてくれる。