パンデミックに見舞われる2度目のゴールデンウイーク真っ只中の昨日。
前夜に通過した寒冷前線も朝までには完全に抜け、昨日は朝から陽光眩しく爽やかに晴れ上がっていた。
茶処の静岡県では、ちょうど新茶シーズンの時期を迎えている。
そんな事から、以前から少し興味があった新茶の借り入れ風景の撮影に出向いてみた。

この地で茶の生産が始まったのは明治初期。時代が変わり失業した武士たちが農民に鞍替えし、荒廃地であった牧之原台地を開墾したのが始まりとされる

実際に開墾に携わった人物達の実名が載っている。開墾開始当初は治水もままならず、苦労と失敗の連続だったとの史実が残る

東名高速にを利用して一路、相良牧野原インターを目指す。
この辺りは茶の有力産地としての役柄の他、県営富士山静岡空港、先のラグビーワールドカップで日本代表が善戦した ”静岡ショック” の震源地エコパスタジアムも近隣にある。
また、最近ではリニア建設工事に伴う治水問題に揺れる大井川も眼前に流れている。
長閑な風景とは裏腹に、近年は何かとニュースのネタに踊り出ることの多い地域だ。

新緑が眩しい茶畑の傍に突如、国際ニュースに載る紛争地域の様な光景が目の前に拡がっていた

エピデミックによる政府の行動制限もあり、高速道路は空いていてスムーズに目的地に到着。
インターを降りて台地上の高台端にあり眺望が良い茶畑が拡がる、台地の東向き斜面を目指すと。。
東名相良牧野原インターから東へ5分程の布引原と言われるエリアに差し掛かった時。

車窓進路前方、遠い先に検問所にある様な障害物が置かれているのが目に入る。
と同時に何かわからないが、何か釈然としない違和感が。。

通常、全てが理路整然とした縦と横の線によって形作られる我が国の風景だが。。何故か此処では見慣れない斜めの線が目を引き。。

近づいてみて違和感の正体が判明する。
見慣れた幾何学的な線によって出来ている街の風景がえらく崩れている。
電柱が倒れ、電線が垂れ下がり、工場建物の屋根が崩れ、民家の屋根が消失している。
なるほど。。前夜、速報で言われていた突風被害の被災地の真っ只中に出くわしたって訳だ。

被災翌日、辺りはカメラを廻すのが憚られる様な有様。現場では、報道機関関係者、災害対応にあたる電気事業者、民間建設業関連のスタッフ、後片づけを始める住民達の姿が入り混じる。よく言われる被災地報道の在り方が問われるって奴だ。人の注意を極力惹かない様にカメラ片手に歩き回る。。

爽やかな晴天、外出自粛が叫ばれる中のGW真っ只中。
全国有数の茶生産地としてただでさえ多忙を極めるこの時期。
突如、自宅が損壊し居住不能に。

(事情には詳しくはないが、屋根が飛べば、もう直せないだろう)

突風が吹いたのは前夜の夕飯時。
政府関係者が推奨するように家でゆっくり過ごしていた住民達に怪我人が出ているという。

付近には農協関連施設、工場や事業所も点在している。見たところ非常に狭い範囲だが、ほぼ直線的に被災した建物が連なっている

あーあ、可哀そうに!
動画カメラを持って辺りを徘徊している手前、口に出すとかなり白々しい感が拭えない。
しかし、同情を禁じ得ない。

関係者に話を聞いたところ、被害の様態からしてほぼ竜巻に違いないという。
よく言われる話だが、屋根まで無くなっている家屋がある反面、その隣家は一見、無傷だったり。。
またはコンクリート製の電柱がボキッと折れ垂れ下がり、その周辺の全ての窓ガラスが跡形も無くなっていたりと。。

コンクリート製の電柱の直径は30㎝は有る筈だが。。送電網がこの有様なので当然、辺りの送電は停止している。今夜からどうするのか?

辺りは車両通行止めになっているが、意外にも立ち入り制限までは執られていない。
現場には、災害復旧活動関係者、報道機関関係者の他、素性の不明な者も多く歩き回っている。

(その内のもっともその場にふさわしくなく、まったく役に立っていない不必要な人員の一人が私自身だが。)

そのうちの一人に声をかけてみると。。
被災翌日、早速、朝から精力的に営業活動に励む瓦職人だった。。笑
彼曰く、朝の早い時間は報道関係者でごった返し、道路上には横転した被災車両が幾つも転がっていたという。
なんだ、どうせならもっと早く来れば、(不謹慎だがね!)もう少し刺激的な絵が撮れたかもしれない。
敢えてそのチャンスを待ち望む意図は無いが、気象変動や地震災害が多発する近年の我が国。
有って欲しくないが、近いうちにいつかまたその機会がある気がする。。
ただ茶畑の撮影に来た筈の平凡な日曜日だったが、被災者に対するお見舞いの気持ちと、同時に日頃の備えにもう一度想いを巡らせることとなった非凡な日であった。