”市内の経済は最悪。もうこれ以上の継続は不可能。。辞めることにしました。。”
現在、市内の多くの事業者達が日々同じ想いでいる事だろう。。
年間1000万人の外国人観光客が訪れていたパタヤだがそれが突然消えて9カ月目になる。
元来、それらに強く依存していたパタヤ特別行政市の経済構造にとっては、それはたまったものではなく影響はきっと我々の想像を超えている筈だ。。
毎年、10年以上にわたって当地で長い時間を過ごしてきた私も、去る3月26日に国家非常事態宣言発令と同時に現地を脱出した口。
幸運にもそれが出来たのだが、同時に手痛い損失も被ることとなった。
過去の記事でその顛末に何度かふれている。。
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その私でさえ、パタヤ市のその後の経緯や現況は想像もつかない。
国際的な航空旅客輸送が突如、全面停止し観光市場が消失してそれが1年も続くなど。。
事業運営者からしてみれば、まるで世界大戦でもおっぱじまったのと同じだろう。。
その女性経営者は続ける。
9カ月経った現在、市内で外国人観光客を姿を見つけることが出来ないという。
当然だ! タイ政府も、当初から帰国が困難な外国人観光客を対象とした特別滞在許可の延長措置を、約半年間にわたり繰り返し行ってきたが、それもとうに終了している。
そして依然として一般旅客の入国は停止中。。
金づる外国人達がいる訳が無い。。
居るのは定住組だけ。。
そして彼らは通常、観光客向け産業には近づかない。。
”直前までは私の事業も順調に廻っていて、車や家屋を手に入れて快適な生活を営んでいたのですが、今では日々の食料を手に入れるのも苦労するほどです。。
そして遂にすべてを引き払い、15年間を過ごしたパタヤを去ることにしたのです。。”
”パタヤでの15年間には多くの思い出は詰まっています。。車、家、家族を手に入れ、生活に充分な資金もあります。。しかし、それは無限ではありません。。消費し続ける訳にはいかないのです。。”
そして11月8日、この女性経営者はこの彼女の個人的な経験に基づいた現在の心情をPattaya Talk というFacebookグループに投稿しシェアすることに。
”パタヤを去るのは最後のオプションだったのですが。。本当のところは勿論、去りたくはありません。しかし、既にその選択肢は無いのです。。この地で成し遂げた事に誇りを感じています。。今となってはパタヤ市には感謝しかありません。。バイバイ 私のパタヤ!幸運を祈っています”
投稿には次の行き先には触れられていないようだが、(私が目にした限りでは)他の中規模都市に居住を決めたようだ。。
なんとも痛々しくも甘酸っぱい感じのする話だが、まだ彼女は良い方だろう。。
我が国を含め本当の地獄はこれから始まるのかもしれない。。
この冬はかつてない程、厳しくなりそうだ。。
あー、ナントか元の世界に時間を巻き戻せないものだろうか?