東洋一の規模を誇る歓楽街を持つパタヤ。
その営みは去る3月18日を境に酷く様変わりしている。

2020年の第一四半期が終わりに差し掛かる頃、コロナウイルスの世界的な感染の拡がりを受けてタイ政府は非常に困難な決断を強いられた。

表向きだけで国内のGDPの優に10%以上を稼ぎ出していると言われる娯楽産業の閉鎖だ。

大晦日のパタヤビーチロードのソイ6で繰り広げられる乱痴気騒ぎは圧巻だ。ローカル、ファラン(西洋人を指す蔑称)が入り乱れて死ぬほどの騒ぎに。本当に昇天する者も少なくない

その代表格のバンコク、パタヤ、プーケット等の都市のナイトライフは世界的にも良く知られ、毎年、幾千万の観光客を惹きつけてきた。

当初、行政機関が想定していた閉鎖期間は僅か2週間。
当時は既に中国の武漢が大変な事になり、それが欧州を介して世界中に飛び火して爆発的に広がり出した頃。

北半球が厳寒期を迎える時期と街の持つ性格からいって、欧州からの避寒客が押し寄せるパタヤでは、それも仕方がないと措置を受け入れるムードが漂っていた。
皆で2週間程、大人しくして居れば終わるだろうと。。
そう、誰もがそうタカを括っていたのだが。。

3月に入りソーシャルディスタンス、アルコール類の提供禁止、営業時間の短縮等、段階的に規制が強められていき、遂には業種全体の閉鎖命令に至った。

しかし、それらは後に起こる大災厄のほんの入り口にしか過ぎなかった。
その後に国内の感染者の急速な増加を受け、国境の閉鎖、国内移動の禁止、商業活動の制限、夜間外出禁止令、そして国家非常事態宣言の発令と僅か半月ほどで、まるで平時から国家的な交戦状態の様な態に陥ってしまった。

次々に商業運航が停止され出し、逃げるようにして何とか出国を果たそうと空港に押し寄せる外国人達。この僅か6週間後、国営タイ国際航空は破綻してしまった。 3月25日 バンコク スワンナプーム空港

規制はその後も続き、生活上必須な業態を除いて移動も活動も禁止されて、実質、全国家的な冬眠状態に。

そして近代稀に見る世界的、前代未聞の災厄がこの世界屈指の観光国に招いたものは?
国内の東京都の人口を超える少なくとも1400万人が、経済上の深刻な影響を受けていると言われている。。
タイ国全体の人口が日本の約半分だとして、これを単純に日本に置き換えると2800万人。
関東の都市圏の人口に迫る数に達する。。

あれから4カ月が過ぎ、現在では多くの規制は解除されて娯楽産業も再開が許されているが、観光立国としての肝心な国境は依然として閉じられたまま。
例え業務を再開しても国が開かなければ、市場は蒸発したままだ。

:画像引用元 パタヤニュース

長引く営業停止が事業停止に繋がり、やがて経済は避けられない停滞に陥る。
失業者数が、かつてないまでに上昇していると聞く。
現在の街中では公的私的を問わず、食料の配給は生活困窮者にとっては最後の生命線となっている。
結果、収入が途絶えた人々の先に待ち受けるのは?
過酷な路上生活だ。
実際、パタヤなどでは目に見えて行き場を失くしたホームレスの数が増加しているらしい。

現地の英字メディアが彼らの様子を伝えている。

そんな彼らが身を寄せるのは、市内中心部に点在する廃業し打ち捨てられたビヤバー・コンプレックスや店舗。
そのうちの何人かが匿名を条件にインタビューに答えている。

この場に住むようになって数カ月が過ぎる。
ロックダウンの最初の期日が延長が決まったあたりから、多くの娯楽産業のオーナーたちが一時休業ではなく、長期休業または閉鎖を決め始めた時期と重なる。
この動きは時間の経過とともに加速し、やがて不可避の廃業へとつながっていく。

廃業したビヤバーコンプレックスの片隅で寝起きをするある中年男性。 :引用元 パタヤニュース

ある中年男性は言う。
正直、Covid-19の前から私は生活に問題を抱えていたがと前置きしたうえで、建設現場での仕事に従事していたがロックダウン以降に仕事と済む場所を失くし、今では食料配給と日銭を稼ぎながら何とかやっていると。
タイでは飲酒、ギャンブル、薬物の問題は非常に一般的。
そして、これらに後から女性や家族問題が加わるのが定番だ。

今では生活困窮者が集まり一種の共同生活を営んでいる。その数はこの場所だけで優に10人を超えるという。 :画像引用元 パタヤニュース

同じくある中年女性が言う。
コロナ前はあるバーでママさんとして長年働いていたが、営業停止が2カ月目に入った時にオーナーが廃業を決定。
田舎の家族を支える稼ぎ頭である彼女に残された蓄えはそう多くはない。
一ヶ月は何とか堪えたが、翌月に家賃が払えずに路上へ出ざるを得なくなった。
コロナ騒ぎの直前には盛況だったバーの新店舗拡張計画もあり、そこの責任者になる予定だったがそれも当然立ち消えに。

Covid-19 パタヤのホームレス パタヤで行き場を失った人たち (2)へ続く